西村 多寿子

留学が転機となった半生を振り返って


1988年財団奨学生 西村多寿子(2004/12/09)


  私がロータリー財団奨学生として、スウェーデンの地を踏んだのは15年も前のことです。当時、千葉大学看護学部の2年生だった私は、スウェーデンの社会福祉制度やその中で暮らす人々の生活や考え方に興味を持ち、短期留学の機会を探っていました。外国語専攻の大学院生の応募者が多い中で、私はかなり異色の存在だったと思いますが、運良く佐倉ロータリークラブの推薦を受けることができ、千葉県全体で10名ほどの財団奨学生の枠に食い込むことができました。

  留学先はストックホルム大学のPreparatory Swedish Language Courseという、英語を共通言語とし、スウェーデン語を集中的に学ぶ留学生のためのコースでしたが、私はそこを足がかりに、医療福祉関係の施設を訪問したり、帰国前の夏休みには長期療養型病院で短期介護職員としてアルバイトをするなど、大学院生のように専攻分野の論文をまとめるためではなく、福祉国家スウェーデンの現状を実体験してきたように思います。今振り返って、正直なところを申し上げますと、留学というのは、当時20歳の私が出発前に想像していたような夢物語ではなく、大学入学の手続きから滞在先の確保、施設訪問の依頼から現地ロータリークラブの方々とのコミュニケーションにいたるまで、ひとつひとつがトライ&エラーで、真に頼れるのは自分だけという追い込まれた状況があり、その中で悩み苦しみながら多くのことを学んだように思います。
 
  現在は横浜に住み、3年前から医療系のフリーランス翻訳者(主に英語)として活動する傍ら、東京大学大学院医学系研究科・健康科学/看護学専攻の客員研究員として、大学教官をしている友人らの研究プロジェクトに関わっています。スウェーデン語については、帰国後10年以上使う機会がありませんでしたが、2年半前から勉強を再開し、現在は東海大学北欧文学科で講師をしているスウェーデン人女性から月1〜2回のペースで会話レッスンを受けています。昨年は、移民の語学教育に携わり音声学に造詣の深いスウェーデン人医師が書いた、第二言語教育関係の本を翻訳する機会にも恵まれました。

  私の大学生当時は、国立大学で看護学部を有するのは千葉大学しかなく、看護系の教官からは、本学部の学生は臨床や看護教育の場における将来の幹部候補生であると日々諭され、卒業後はまず病院や保健所などの現場に出ることが推奨されていました。しかし私の場合、留学がきっかけで膨らんだ語学への関心を断ち切ることができず、いわゆるバブル期だったことも手伝って、卒業後は英国系製薬会社に就職、さらに2年後に東京大学大学院医学系研究科国際保健学科に進学しました。その後、看護師として初めて臨床現場に立ったのは、大学院を修了した20代後半、結婚を機に電機メーカーの健康管理室に転職し、保健師として社員の健康管理業務にも5年間携わりました。こうして大学入学から現在に至るまで、自分自身がやってきたことを概観しますと、看護教育を通して習得した基礎医学や看護技術と、スウェーデン留学を転機とし、その後も継続した学習によって獲得した語学力を融合する試みだったようにも思えてきます。

  看護は、まず患者さんと対面し、コミュニケーションを図ることから始まります。患者さんが日本語を話さない場合、他の形でのコミュニケーション方法を模索する必要があるわけで、そういった意味で、複数の言語を話し、読み書きする能力を得たことは、私の視野と活動範囲を広げるのに大いに役立っていると考えます。

  ロータリークラブが100周年を迎え、その記念事業の一環として、33年の歴史を持つ佐倉ロータリークラブもホームページを開設することになったと伺っております。バブル期と違い、現在の財団奨学生の人数はそれほど多くないのかもしれませんが、私のような異端児を支援してくださる人々と組織があったおかげで、自分で言うのも変ですが、非常にユニークな人生を歩んでいる人間がいることをお伝えしたく、今回は感謝の気持ちをこめて筆をとらせていただきました。今後もロータリークラブが若者達に留学の機会を与える体制を維持されることを期待し、また佐倉ロータリークラブがますます発展していくことを心からお祈り申し上げます。